重要文化財(建造物)旧台徳院霊廟惣門・有章院霊廟二天門

登録年月日:1930.05.23

旧台徳院霊廟惣門

惣門の前で撮影も可能です

惣門の仁王像(阿形)

惣門の仁王像(吽形)

惣門の後方の階段を上がると広々とした公園に出られます!

有章院霊廟二天門

【二天門】修復され鮮やかさが蘇りました

【二天門】門には徳川家の家紋が装飾されています

【二天門】門の朱色が青空に映えます

【二天門】細部の漆塗り、細工部分は必見

コメント

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この門を見たときに「なぜ門だけ?」「お寺はどこにあるの?」 と思われるでしょうか。じつはこれらの門は徳川家の霊廟の門なのです。 かつてこの場所には将軍の壮麗な霊廟があり、参詣者が訪れていました。 その後、第二次世界大戦の空襲で大部分が焼失し、この門だけが残ったのです。 周囲の緑地と門の美しさの調和をぜひご覧いただきたいと思います。

解説

旧台徳院霊廟惣門

1632年建立。徳川家の2代目徳川秀忠(1579~1632)を弔う霊廟の門である。徳川家は1603年から1867年までの「江戸時代」日本を統治した家柄である。この時代は最も治世が安定し各地で様々な文化芸術が生まれた。1700年代には「江戸」の人口は100万人を超えていたと言われている(1800年代のロンドンの人口がおよそ86万人)「霊廟」とは祖先の霊を祀る建造物で、中国の「孔廟」やインドの「タージ・マハル」もなどもその一種である。「台徳院」とは仏の弟子となるため秀忠に送られた名前である。霊廟は壮麗で規模が大きく、この門はその霊廟に入る第一の門であった。1945年の戦争による爆撃で4つの門以外すべて焼失し、その後三つの門は別の場所に移築され、この門だけがこの地に残っている。この門を見る時、かつての建築技術の素晴らしさと徳川家の威容を想像することができる。

有章院霊廟二天門

1717年建立。徳川家第7代目徳川家継
(1709~1716)の霊廟の門である。
「霊廟」とは祖先の霊を祀る建造物のことで、インドの「タージ・マハル」や中国の「孔廟」などもその一種である。徳川家は「江戸時代」(1603~1867年)の約300年間日本を統治した家柄で、この時代はそれまでの日本の歴史上最も治世が安定し様々な文化が開いた。「江戸」は1700年代に100万人の人口となり、当時のパリやロンドンをしのぐ大都市であった。「有章院」とは仏の弟子となる為に家継に送られた名前である。わずか8歳足らずで亡くなった家継の霊廟は栃木県日光市に現存する「日光東照宮」に劣らないと言われるほど壮麗なものだった。しかし1945年戦争時の爆撃により大部分が焼失した。徳川8代目以降はこのような霊廟は建造しなくなった為、この門は徳川家の歴史の一部を知る上でも大変貴重なものといえる。

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文化財情報

【時間】

6:00ー17:00

【定休日】

【料金】

拝観無料

【外部リンク】

増上寺HP

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